日本語と高齢学習者

来年度から教科書を変更しようかという話が出ています。これまで使っていた『初級日本語 げんき I [第2版]』をやめて、去年国際交流基金から出た『まるごと 日本のことばと文化』に乗り換えよう!・・・ということのようです。

 

今日、職場から借り出し、ざっと見て引っかかったこと、

「初級」とか「入門」とか書いてある割には中身がほとんど日本語オンリーなんですけど?

日本語をまるで一から始めようとしている人に、こんなテキスト見せたらかなりビビってしまうんではないかなと思います。アルファベットの世界に住んでいる人にとって、日本語の文章の中にそれがあることは「砂漠のオアシス」みたいなもので、やはりある程度の広さのオアシスは必要ではないかと思います。特に、私の働く学校には60歳代の生徒さんも結構おり、そんな人たちにいきなりこの教科書はちょっとどうでしょう。

以前紹介した『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』からで引用した要点に、言語学習の適性というのがあります。外国語学習を成功させるために必要な適性とは、1.音声認識能力、2.言語分析能力、3.記憶の三つなのだそうです。

このうち音声認識能力は二歳ぐらいまでに出来上がってしまうそうです。日本人が”r”と”l”の聞き分けができないことや、フランス人が”h”の音を聞き取れないこと。あるいは、中国人が(韓国人も?)濁音を聞き取れないことも、自らの母語にとって必要のない音をキャッチしなくなるからだそうです。つまり、これは大人になってからどうのこうのできる能力ではないということです。

 

他方、私が勝手に理解したところによりますが、言語分析能力とは文法を分析する能力のことで、学習者が新たに外国語を学ぶ際、既知の文法的知識を利用しながら学習言語を分析し、それへの理解を深め、学習を進めていくといった感じのことです。逆に、こうした文法的知識を十分に有しない子供は「記憶」によって、試行錯誤しながらフレーズ・語彙を頭に溜め込んでゆき、それを通して自らの言語能力を高めてゆくということです。(※間違ってたらごめんなさい)

 

何が言いたいかといいますと、第二点目のひっかかりとして、

まるごと 日本のことばと文化』というテキストにはほとんど文法の説明がないんですが、それでいいのでしょうか。

ということです。

全然ないわけではありませんが、いわゆる「説明している文章」というものがなく、「頭で考えるより、実際にどんどん使って慣れよう」というスタンスととれます。先に紹介した「言語分析能力」と「記憶」の関係で見た場合、後者の方に比重をぐっと寄せた感じです。

ある意味、斬新な取り組みと言えるのかもしれませんが、「記憶」に頼った学習方法ということであれば、それは子供に適したもののような気がしないでもないです。「記憶」する能力は年歳とともに衰えてゆくものなので、私の職場のように60歳代の人にこの方法をゴリ押しするのはちょっと酷な気もします。

実際に、教室での様子を見ていると、彼らはよく何かを「考えて」います。頭の中で、自分の母語やこれまで学習した外国語と比較なんかしているんでしょう、きっと。「英語やフランス語ではこうなんだが・・・」といった感じの質問がよく飛び出します。

「記憶」に頼った学習だと、こうした機会を奪い、代わりに反復練習なんかを持ち込むことになるんだと思います。もちろん、反復練習はものごと習得の王道かもしれませんが、あまりやりすぎると退屈なものでもあります。

 

まるごと 日本のことばと文化』は実際よく練られた本だとは思いますが、ちょっとメインの教科書として使うにはリスクを感じます。少なくとも手前どもの場合。個人的には、ワークブック的に使ってみたいテキストです。

 

結局のところ、最大の問題点は、私の職場に来るような生徒は一般的な教科書がターゲットにしているような生徒ではないということなんだと思います。第二言語習得論の研究対象も若い人や子供が守備範囲のようで、先の本でもあまり高齢者を対象にした研究に触れられていませんでした。

 

「日本語「と「高齢学習者」。ハマるとなかなかワクテカのコンビですが、この二つ、世間的にはまだまだ相互に関連の薄いキーワードなのかもしれません。

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2 comments

  • なんばかいさん、はじめまして。わたしたちは今年度の今月始まる授業から初めて『まるごと』を採用しました。入門A1の最初に限って言えば、絵や写真が多いので、イタリアでは多い他の教科書に比べると図が多く、しかつめらしくなく、音声が多い分、とっつきやすいような気がしますが、文法の説明がほぼ皆無である上に、困るのは、提示する文型(「~は…じゃないです。」)が口語的すぎる上に他の選択肢や使える場・語感の説明がいっさいないこと、そうして、練習問題は表面を上滑りするものが多い上、文法的説明が欠如していて、「使ってまるごと覚えてください」という姿勢であるため、きちんと身につくための練習問題や、文法のしくみを理解できるための説明は、別の教科書や自分の説明で補わなければいけないことです。ですから、特にすでにA1を終えた段階であれば、補助教材にというお考えには賛成です。ただ、ひらがなやカタカナでつまずきやすい入門者を何とかコースに乗るまで勉強にたきつけるには、入門A1は使えるかもしれないという気はしていますが、もちろん教員側での他の教科書などを使って「まるごと」に不足する部分を補う準備が、もちろんこれは他のどの教科書にでも言えることですが不可欠だと思います。

    学習がうまくいくためには、これまで学ぶ人たちが慣れていた学習習慣に則った習慣を大切にすることも大切なので、そういう意味ではやはり、文法についての考察はなんばかいさんのクラスでは不可欠だと思います。いろんな言語を習った経験が活かせて、そういう話を先生が耳を傾けて聴いてくれる、そうして、年配の方が日本語に興味を持って勉強を続けてくださるクラス、すてきですね。

  • なおこ様
    はじめまして。当ブログへの最初のコメント、ありがとうございます。

    『まるごと』に関する貴重なご意見、大変参考になります。私どもの学校でも、結局「『まるごと』は補助教材として使おう」ということになりました。やはり文法的説明がないというのが問題だという認識です。
    記事の中でも書きましたが、大人が外国語を学習する際、自分の持つ既知の文法的知識を活用することが指摘されています。教科書に文法的説明がないということは、特に自宅学習等に際して、彼らからこうした学習のための資源を奪うということになりはしないか、それで彼らの学習に効果があるのか、というのが私個人が危惧するところです。
    逆に、補助教材と割り切った場合、『まるごと』という教科書はなかなか面白そうな教材であるのは確かです。今後いろいろと使い道を考えてみたいと思います。

    またこちらからもなおこ様のブログにお邪魔させていただきますので、授業での取り組み等お聞かせ願えると幸いです。

    今後とも宜しくお願いします。

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