大学生になったら

早六年

補修校自主修了後、早六年。娘は今年、高校二年生になる。日本語はJLPT N3レベル(2020年夏はコロナ禍で受験できなかったが、受ければ合格していたと思う)なものの、特に日本語で何かをさせようとはしてこなかった。むしろ「日本語ができる」だけでは不十分と言い聞かせてきたぐらいで、日本語よりもここで生き抜くための知識と技能を身につけて欲しいと思っていた。そういう意味では語学ならフランス語や英語を、それ以外なら数学などの理系科目の学習を優先。結構ゆるい日本語を話している。

 

日本語をやってよかった?

「将来、日本語をやっておいてよかったと思うようになるから」というのは日系国際児に日本語学習を勧める大人がよく口にする台詞である。本当だろうか?

「将来」がどれぐらいの未来を指すのかわからないし、人それぞれの人生なので、追跡調査でもしない限り答えは不明だろう(そんな調査は見たことないし、不可能かと思われる)。

ではもっと簡単に「日本語をやってよかったか?」とすればどうか?これならすぐに答えられそうだ。

まあ、答えは大抵の場合イエスだろうがw。補修校に行かなかった国際児の多くも、流暢に話せる国際児を見ては「通っておけばよかった」と思うようだ。あの苦労を知らんから言えることだと思う。しかし逆に、「やらなかったからよくないか」と質問を設定し直すと、これもまたそうでもないと思う。日本語は身につかなかったかもしれないが、その分、他に有意義な時間の使い方ができたかも知れず、他人が判断を下せる領域を超えているように思う。

結局のところ、日本語ができる、できないというのは「何もないよりは何かあった方がいい」というぐらいのものなのではないかと思ったりもする。代わりにピアノが上手とか、テニスが上手いでもいいのではないか。実際、その方が将来、生きる術に直結しそうでもあるし、たとえ何もなくても、一生の友を得たやいい思い出がたくさんできたでもいいと思う。

 

日系国際児を見て思うこと

仕事柄、ハイティーン以上の日系国際児を何人か知っている。補修校に通わず、全く日本と関わりのない生活をしてきた国際児たちは接触しようがないが(見つけ出して「どうして日本語をしなかったのだ?」などという馬鹿げた質問をする気がない)、少なくともなんらかの形で日本語に関わろうとしている国際児はいろいろと見てきた。

 

補修校でみっちり鍛えたものの、二十歳前後で「日本語はできるけど・・・」と進む道に迷っている国際児を見た。「日本語はできるけど、将来、日本語で何か、日本で何かをするつもりはない」と完璧な日本語で自分の夢を語る国際児も見た。補修校には通わなかったものの、大学の副専攻として緩く日本に関わって(一年留学までしたのにそれっきりの)国際児もいた。あるいは、主専攻として情熱を持って取り組んでいる国際児もいる。もちろん、日本や日本語に全く興味がないという国際児も多く耳にした。ただ、「日本語で人生が切り開けた」という国際児はまだ見聞きしたことがない。「将来」のその時がまだ来ていないだけかもしれないがw。

 

印象としては、日本語が二十代前後で人生のアドバンテージになっている風には見えない。大学で日本語を専攻した場合、日本語会話の試験には役立つかもしれないが、文法分析となると怪しくなるのはネイティブと同じだろう(実は書くのも怪しいのだが)。当たり前のことだが、補修校で日本語を身につけるのと、学問としてそれに関わるのは別なのだ。

日本の家族と意思疎通ができるのはアドバンテージと言えばそうかもしれないが、それが現地社会で即社会的なアドバンテージになることはないのと同じかもしれない。ラーメン屋のバイト採用率は高くなるかもしれないが・・・。

 

結局のところ、日本語ができようとできまいと、日系国際児も他の学生と大差なく日々人生に悩んでいるように思える。まあ、若者は悩むものなんだろうが、こちらとしては「身につけた日本語が何かの啓示になればいいね」と側から祈るぐらいしかできない。人の「将来」まで占える水晶玉も持ち合わせていないしw。

 

コロナ禍が一息ついたら是非ハイティーン以上の国際児から実際のところどうなのかという話を聞かせてもらおうと思う。研究といった無責任なもののためではなく、現在進行形で子供を育てている者の参考として。

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