過ぎたるは何とやら

子供に日本語を継承させようとする際によくぶち当たる疑問に

 

これ、必要かな?でも、まあ、いらんかな、この子らには。

 

というのがあります。前もって「ここまでは!」というゴールを設定しているわけではないので、漢字をどれだけ覚えるかとか、国語の教科書がすらすら音読できるようになるとかといった到達目標としてのガイドラインはありません。しかし同時に、「日本に関心を持ってもらいたい」との漠然とした思いはあります。これは一種の方向づけであり、日本語継承に関わっている大抵の日本人の親御さんとこうした感情は共有しているのではないかと思います。これが、

 

継承日本語教育は到達目標ではなく、方向目標を掲げるべきである。

 

と私自身が考える所以であります。

 

以上のような理由から、日本社会や文化、日本語そのものに関心を持ってもらおうと日夜努力しているわけですが、日本に連れて行って楽しい思い出を作るのも、日本のドラマや映画を楽しむのも、それもこれも全てこの方向づけのためということになります。

 

その甲斐あってか、おかげさまで、上の二人は日本へのかなり強い関心を持っています。特に、ここのところずっと関わってきた『信長協奏曲』は二人の日本史への興味を大いに刺激しました。「なんで家康が天下を取れたの」から始まり、「もっと漢字の勉強がしたい」を経て、今では「大学で日本史を勉強したい」とまで言うようになりました。

 

んが!

それは恐らく喜ぶべきことなのでしょうが、このご時世に文系?(と、文系のおっさんがのたまっていますw)しかも日本史などという当地では使えない道を目指すことは、将来的に苦労を背負うことになるのではないかと危惧するところでもあります。コンピュータ関係と言わずとも、生物や化学などの畑を歩いた方が親としては安心なわけです。そのために数学/算数はしっかりサポートしてきました。いずれ物理/化学もサポートする気満々です。今のところ数学/算数嫌いにはなっておらず、状況としては悪くはないんですが・・・。

 

一方で、やりたいことをやらせてやりたいとの気持ちもあります。子供自身の人生なので、好きにさせてやりたいという親の純粋な思いです。自分も結構はちゃめちゃな人生行路でしたが、親は黙って放置しておいてくれました。いざ、自分が親になってわかること。それは、

 

そこには私への大きな信頼があったんだなあ。

 

ということです。

子供の意思を尊重するという美談の裏に、親の多大な勇気があることを今ひしひしと感じています。遅まきながら、自分の両親には感謝の念しかありません。それに応える方法があるとすれば、同じ態度で子供を見守ることかなと考える次第です。

 

 

もし本当に日本史を学びたいのであれば、最高のサポート体制を整えるつもりではあります。歴史を学ぶとは単に「昔、何があったか」を知るだけではありません。そこにいろいろな思惑が介入してきます。そういった物事の判断の仕方も含めたサポートです。そのことも含め、我が子が日本史を学んでくれるのであれば、それは自分にとっても新たな楽しみになること請け合いです。なんせ自分は歴史好きのカメオタですから、一緒に神社仏閣・城郭の写真を撮りに行くかもしれませんw。

ベルギーで日本史を本格的に学ぶとすれば大学しかありません。でも、古文書をどうする?漢字も日本人並からほど遠い位置にいるのに。漢文は?中国古典の知識がないとやばくない?やっぱり漢字ですね、壁は。ただ、オランダ語ネイティブということもあり、出島のオランダ人が残した文献を中心にしたアプローチをするなど、逃げ方の選択肢はありそうなので、本当にそんな時が来れば秘策を授けたいと思います。

 

 

日本への関心を向けるという一つの悩みをクリアしたかと思えば、またそれが別の悩みを運んでくる。親業は誠に理不尽極まりない仕事です。

 

 

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