個人的に思うこと

ベルギーのニュースで安倍談話中の「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりが触れられていたと書きましたが(記事はこちら)、そのことについて一つだけ。

 

ベルギーは私の知る限り、第一次・第二次両大戦中の出来事についてドイツに謝罪を要求したことはありません。また、人口を半減させるほどの過酷な植民地支配をしたといわれるコンゴに対しても謝罪をしたと聞いたことがありません。本来、そいう歴史的事実と国家の謝罪というのは別次元にあると考えられている気がします。

ヨーロッパで植民地支配に対して公式に謝罪をした政治指導者は、確かイタリアのベルルスコーニ元首相だけのように思います。2008年にリビアに対して行ったものです。どうしてあの人が?

何が彼にそうさせたのかは分かりませんが、まあ、ヨーロッパなんてこんなもんです。

 

安倍談話が出た後、ネット上でワイツゼッカー元西ドイツ大統領(故人)の終戦40周年演説「荒れ野の40年」との比較記事を目にしました。昔、読んだような気もするんですが、内容なんて消し飛んでいましたので、ネット上にあった翻訳を再読。ドイツ語原文の教科書を持っていたんですがねぇ。

 

うーん、残念ながら、そこには「お詫び」に相当する単語は見当たらなかったです。意外でした。過去に関して「記憶しよう」「心に留め置こう」は繰り返されるんですが・・・。一般的には評価の高い演説とされているんですけど、「こんな内容だったんだ」ってところで、ちょっとガッカリ。原文には謝罪の単語があるんですか?

ただ、面白かったのは、今回の安倍談話はワイツゼッカー演説をかなり意識して書かれた作文ではないかなという感じがしたことです。どの箇所が・・・ということではなく、そのストラクチャーや言質を取られないような配慮なんですが。

 

そして、先の「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」は以下に通じるのかと。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 

ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

過去をしっかり記憶し、70年間日本は戦争をしてきませんでした。それをもって日本は国際社会の信頼を勝ち得てきたのだと思います。

にもかかわらず、親が日本人という理由で、先の大戦になんのかかわりもない子供たちが謂れなき非難を受けるようであれば遺憾この上ないです。政治的あるいは感情的理由から、出自によって他者に十字架を背負わようとする社会・個人こそが国際社会が掲げる理念に反していると思います。

 

歴史のファクトに誠実に、そして、それに対して責任を負うべきだというのがワイツゼッカー演説の要諦のように改めて思いました。

 

おっさんの夏休み読書感想文です。

 

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